チームラボ, 2011, アニメーション, 6min 23sec (9:16), 書:紫舟
空間に書く書、『空書』。書の墨跡が持つ、深さや速さ、力の強さのようなものを、新たな解釈で空間に立体的に再構築しています。
「むかしの日本の人々は、今とは違った風に世界を捉え、今とは違った風に世界が見えていたのではないか?そこには、西洋のパースペクティブとは違う空間認識の論理が培われていたのではないか?」、『超主観空間』というコンセプトの基、3次元空間上に立体的に構築された世界を、チームラボが考える日本の空間認識によって映像化した作品。
超主観空間
日本はすべて、超主観的。それは世界にとって、未来のヒントかもしれない。
社会、文化、文字、言語。日本はすべて、超主観的だ。それは、現代のポップカルチャー、特に、マンガ、アニメ、ゲームの物語のコンテキストから、ビジュアルまで、強く濃密に、わかりやすく表れている。そして、それは、ずっとずっとずっとむかし、日本の人々が今とは違うように世界を捉えていたころから、無意識に受け継がれてきているのだ。
観念的に空間を表現し、2次元的といわれる日本の美術表現。けれども僕らは、むかしの日本の人々には、空間が水墨画や大和絵のように見えていたのではないか、と考えている。現代人がパースペクティブな絵や写真を見て空間だと感じるように、むかしの日本の人々は、水墨画や大和絵を見て空間だと感じていたのではないか。観念的な絵だとか平面的な絵だ、とは思わずに。僕らは、それらの日本美術の平面には、西洋の空間を客観的に捉えたパースペクティブとは違う論理による空間が存在していると考えている。その空間を、僕らは、超主観空間とよぼう。
そして、もし、日本の平面に、違う論理による空間が存在するならば、それには、再現性がある。3次元空間上に立体的に構築された世界を、日本の先人達の空間認識を再現するように映像化する。そうすることによって、鑑賞者が映像の世界を客観的に観るのではなく、映像の中の世界と自分がいる世界が曖昧で表裏一体になるような新しい映像表現ができるのではないか。そして、その映像で空間を再構築したとき、空間の物理的な制約を越え、もっと身体的な体感になるのではないか。今回の展示は、そんな疑問への試みなのです。
かつて、人々は、もっと主観的に世界を捉えていた。にもかかわらず、まるで客観的世界観がすべて、といわんばかりに、主観的世界を分離してしまったのだ。
しかし、ネットが世界に張り巡らされ、人々は互いに直接つながり、自分の視点で発信し続けはじめた。それによって、永らく続いた客観主義に基づいた世界の捉え方は、行き詰まりを感じている。もはや、世界を、客観的な何か、で覆うことはできないのだ。
これからの超情報化されていく社会では、表現、科学、そして社会の秩序まで、客観的世界観に代わって、主観的世界観が必要なのではないか?
『「世界の正義」のために、戦争を始めることへの違和感』から、『写真で撮られた女性よりも、アニメ的に描かれた女の子の方が、よりかわいいと感じはじめていること』まで、それらは、きっと、つながっているのだ。
主観的世界を再現性があるものとして紐解いていくこと、そこには、未来のヒントがあるかもしれない。
[EXHIBITION]
2012年『東京証券取引所 2012年大発会』(東京証券取引所、東京)
2011年『VIVA JAPAN CAFE』(ION Orchard、シンガポール)
2011年 『TOKYO DESIGNERS WEEK 2011』(明治神宮外苑、東京) ※dome ver.
2011年 『TARO LOVE』展(渋谷西武、東京)
2011年 『ジャラパゴス』展(三菱地所アルティアム、福岡)
2011年 第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展『FUTURE PASS』(ヴェネツィア、イタリア)
2011年 アートフェア『ART HK』(香港)
2011年 アートフェア『VOLTA7』(バーゼル、スイス)
2011年 チームラボ『生きる』展(カイカイキキギャラリー台北)
[INTERVIEW]
2011年 『STUDIO VOICE』 ヴェネツィア・ビエンナーレ取材
2011年 『PUBLIC IMAGE.ORG』 チームラボ「生きる」展レポート








