
3D Shading(遠近法による平面化)

3D Wireframe
(日本絵画的平面化)
3D Shading
(日本絵画的平面化)
compile
実際に見た風景に感動して撮った写真を持ち帰って見たときの違和感、もしくは、写真を見てから実際にその場所を見たときの違和感。
我々は、空間を、目で見ているのではなく、脳で見ている。
教育された概念や常識、多くの経験によって、見えたものを脳で補正し、再構成を行なっているのだ。
たとえば、私たちが遠近法を用いて描かれた絵画を正しく理解できるのは、同一のものが均等に配置された都市での生活や、教育、写真や実写の映像を多く見ていることによる部分が大きい。今でも、原始的な環境で生活する民族は、遠近法絵画の遠近を正しく理解することができない。
先天的に目の見えなかった人が、成長してから開眼手術をして視力を取り戻したとして、目は正常な機能を持っていても、その人は直ちに空間を把握できない。
つまり、写真や実写の映像のように、客観的に空間の物理的に存在する情報を、遠近法によって、平面化することとは、人間が、空間を認識していることの一側面なのだ。
では、現代の人間が、実写の映像と、今人間が見ている世界に、そんなに区別がつかないように感じるのは、なぜか。
逆に言えば、遠近法の教育を受け、写真や実写の映像に囲まれて生活し、いつのまにか、人間もまるで、空間を、写真や実写の映像と同じように見ていると思い込んでいるだけかもしれないのだ。
人間は、もっと、主観的に世界を捉えている。にもかかわらず、世界を物理的な客観的世界だとすることによって、主観的世界を分離してしまった。 そして、空間を、写真や実写の映像と同じように見ていると思い込んでいるのだ。
では、主観的な認識、身体的な感覚を重要視していた文化圏では、世界がどのように見えていたのだろうか?
日本は、客観的に世界を捉えることを重視していなかったように思える。世界は、主観的なものだと考えていたのだ。客観性が重要視される前の世界では、人は、世界をどのように認識していたのだろう。
そのことを知るために、日本の先人達がどのように世界が見えていたかを知ろうと思ったのだ。日本の絵画表現は、空間を観念的に平面化しており、遠近法のように幾何学的に計算・作図された平面化ではないと考えられている。
そんな日本の絵画表現を、コンピューター上の仮想の3次元空間によるCGで再現しようとするプロセスの中で、そのヒントが見つかるのではないだろうか?
それがこのプロジェクトの動機である。
そして、それは、分裂した客観的世界と主観的世界を再び統合的なものにするヒントになるかもしれないと考えている。

