チームラボ, 2009, 映像インスタレーション, 10min 00sec(Φ30m)
2009年からの100年間、上昇していく海を描いた作品。
映像の尺が100年のバージョンと、それを体感可能な時間にまで縮めた、映像の尺が10分のバージョンがあります。今回は、10分のドーム型バー ジョンです。
日本の先人達が描いた波や海は、まるで生き物かのように、どこか生命を感じます。それは、彼らには、自然に対して畏敬の念のようなものがあり、波 や海が一つの生命に見えたからではないか。そして、彼らには実際、古典的な日本画のように世界が見えていたのではないか、と考えています。
「日本にはパースペクティブとは違う空間認識の論理が培われていたのではないか?」という『超主観空間』というコンセプトのもとに、この作品は仮 想の3次元空間上に物理演算で創った波を、チームラボが考える日本の空間認識を再現した論理で映像にしています。
そうすることによって、むかしの日本の人々には、海がどうのように映っていたのかを、知ることができるのではないかと思ったのです。そして、そう することによって、鑑賞者が映像の世界を客観的に観るのではなく、映像の中の世界と自分がいる世界が曖昧で表裏一体になるような新しい映像体験が できるのではないか。そして、その映像で空間を再構築したとき、空間の物理的な制約を越え、もっと身体的な体感になるのではないか。そんな風に 思っています。
超主観空間
日本はすべて、超主観的。それは世界にとって、未来のヒントかもしれない。
社会、文化、文字、言語。日本はすべて、超主観的だ。それは、現代のポップカルチャー、特に、マンガ、アニメ、ゲームの物語のコンテキストから、ビジュアルまで、強く濃密に、わかりやすく表れている。そして、それは、ずっとずっとずっとむかし、日本の人々が今とは違うように世界を捉えていたころから、無意識に受け継がれてきているのだ。
観念的に空間を表現し、2次元的といわれる日本の美術表現。けれども僕らは、むかしの日本の人々には、空間が水墨画や大和絵のように見えていたのではないか、と考えている。現代人がパースペクティブな絵や写真を見て空間だと感じるように、むかしの日本の人々は、水墨画や大和絵を見て空間だと感じていたのではないか。観念的な絵だとか平面的な絵だ、とは思わずに。僕らは、それらの日本美術の平面には、西洋の空間を客観的に捉えたパースペクティブとは違う論理による空間が存在していると考えている。その空間を、僕らは、超主観空間とよぼう。
そして、もし、日本の平面に、違う論理による空間が存在するならば、それには、再現性がある。3次元空間上に立体的に構築された世界を、日本の先人達の空間認識を再現するように映像化する。そうすることによって、鑑賞者が映像の世界を客観的に観るのではなく、映像の中の世界と自分がいる世界が曖昧で表裏一体になるような新しい映像表現ができるのではないか。そして、その映像で空間を再構築したとき、空間の物理的な制約を越え、もっと身体的な体感になるのではないか。今回の展示は、そんな疑問への試みなのです。
かつて、人々は、もっと主観的に世界を捉えていた。にもかかわらず、まるで客観的世界観がすべて、といわんばかりに、主観的世界を分離してしまったのだ。
しかし、ネットが世界に張り巡らされ、人々は互いに直接つながり、自分の視点で発信し続けはじめた。それによって、永らく続いた客観主義に基づいた世界の捉え方は、行き詰まりを感じている。もはや、世界を、客観的な何か、で覆うことはできないのだ。
これからの超情報化されていく社会では、表現、科学、そして社会の秩序まで、客観的世界観に代わって、主観的世界観が必要なのではないか?
『「世界の正義」のために、戦争を始めることへの違和感』から、『写真で撮られた女性よりも、アニメ的に描かれた女の子の方が、よりかわいいと感じはじめていること』まで、それらは、きっと、つながっているのだ。
主観的世界を再現性があるものとして紐解いていくこと、そこには、未来のヒントがあるかもしれない。
[EXHIBITION]
2011年 『TOKYO DESIGNERS WEEK 2011』(明治神宮、東京)
2010年 『TOKYO DESIGNERS WEEK 2010』(明治神宮、東京)






